灯火の先に 第15話


アルコールが入ったせいだろうか。
今朝は驚くほどすっきりと起きる事が出来た。
頭が、いや脳が軽くなったような感覚。
大丈夫だと思っていても、脳は緊張し続けていたのかもしれない。
たった一杯の日本酒で酔っ払い、食事も残した状態で爆睡なんて、今でも信じられないが、実際に目が覚めたら朝になっていて、そのうえきっちりと布団に押し込められていたのだから、疑う方がおかしいか。
C.C.は朝から上機嫌で温泉に入っている。せっかく温泉に来たのだから、ふやけるまで入るそうだ。大浴場でのんびり、というのは正直羨ましいが、流石にこの目で大浴場に行くわけにはいかないので、部屋に設置されている浴室を使いのんびりとシャワーを浴びていると、何か音が聞こえた気がした。
シャワーを止め、扉を少し開けて外を伺う。
この旅館の床は絨毯ではないため、廊下を行き交う人の足音が僅かだが聞こえてくる。普通の客であればこの床板の軋みを煩いと思うかもしれないが、襲撃者が来たことを考えわざわざそういう旅館を選んだのだ。
足音は一人分。
歩幅から推測するに身長は高そうだ。音から体重は重くないようだ・・・音で判断するのはまだ外れる事が多いから、可能性がある程度だが。
足音は部屋の扉の前で止まると躊躇うことなく鍵を開けたので、あちらが扉を開けたタイミングに合わせ、こちらは閉める。室内に入った人物は数歩進んだ後、浴室の扉の前で止まった。

「スザク様、そろそろお出になられた方がよろしいかと」

声の主は、咲世子だった。
足音から予想はしていたが、彼女の足音はどうにも判別が難しい。
特殊な訓練を受けた人物だからか、足音とイメージが重ならないのだ。

「今出ます」

警戒をとき、いつもと変わらない声で返事をする。
もう一度暖かいシャワーを浴びてから浴室を後にした。
髪を拭きながら、咲世子が座っているベッドの向かいに腰をかける。

「C.C.様は、まだお戻りになっていないのでしょうか?」

洗濯をしてくると言って出かけていた咲世子は、洗濯物を畳みながら尋ねてきた。C.C.が温泉に向かったのは、咲世子が洗濯に行く前だから、思っていた以上に時間が経っていることになる。

「まだ戻ってないよ。彼女がこんなに温泉好きだとは知らなかった」
「私も存じませんでした」

咲世子は何かあったら困るからと温泉は使わず、スザクと同じくあの浴室を使っている。だからお互いにこの温泉がどんなものかは知らないが、C.C.は昨日寝るまでに2回、夜中に起きて入り、今朝もこうして入り浸っているのだから、よほど彼女の趣味にあった温泉なのだろう。

「流石にのぼせるんじゃないかな」

こんなに長時間入っていたら。
・・・不老不死の魔女だから、のぼせたりはしないのだろうか。

「C.C.様はお若く見えますが、お年を召していらっしゃいますから」

お年寄りは温泉が好きだとよく聞く。
C.C.は肉体的にも若いままだが、すでに数百歳。
スザクは咲世子の鋭い指摘に、思わず噴き出した。
すると、ばたばたばたばたと、大きな音をたて廊下を走る音が聞こえ、そのすぐ後に部屋の扉が勢い良く開かれた。どうやら咲世子は鍵をかけていなかったらしい。息を切らしたその人物が誰かは足音で解っていたが、何かあったのだろうか。

「C.C.様、浴衣がはだけております」

浴衣を着て全力疾走。
そのせいでC.C.はあられもない姿になっていた。

「・・・今の話が聞こえてたのかな」

スザクはポツリとつぶやいた。
もし聞こえていたら地獄耳どころでは無い。
まあ、自称魔女だからそう言う事が出来るかもしれないし、もしかしたら緊急時用に盗聴器の一つでも荷物に仕込んでいるかもしれない。

「・・っはあ、ぜえ、はあ、っ何の、話だ?」

小さな声で呟いたつもりが、聞こえていたらしい。
地獄耳なのは間違いない。

「まあいい、それよりすぐに出るぞ」

C.C.は室内に入ると、浴衣を脱ぎ散らかし、着替え始めた。
スザクは目が見えないから、やりたい放題にしている。

「どうなされたんですか?」
「どうもこうもない、今チェックインしたナンパ男から嫌な情報を手に入れた」

ナンパ男。
だれに?C.C.に?と考えて、そう言えばC.C.は美少女だと思いだした。
湯上りで、浴衣を着た美少女が1人で歩いていれば、大抵の男は思わず見とれるだろう。連れ合いのいない者なら、ナンパする可能性は高い。その位美人ではあるが、口がとにかく悪いため、長く一緒にいると彼女が美人だと言う事をつい忘れてしまう。
どうやらアーリーチェックインで来た客につかまり、雑談していたせいで戻るのが遅かったようだ。

「いいから急げ、ここに来る途中に検問があったそうだ。しかも、別方向から来たと言うナンパ男の友人も、柄の悪い外国人が誰かを探しまわっているのを見たそうだ」
「・・・それって・・・」
「ここにスザク様がいる事を日本だけではなく、他国の者が気付いている可能性がある、という事ですね」
「そう言う事だ」

柄の悪い外国人はたまたまかもしれない。
だが、検問は拙い。
何の検問かは解らないが、危険なことには変わりはない。
少なくても外国人がいた方面にはまだ検問は無いようだから、急ぐべきだ。

「もし気づかれているのだとすれば、罠かもしれません」

検問が無い方向は。
着替えを終えたC.C.は、短時間で変装をし、荷物を担いだ。
その頃にはスザク達も準備が出来ている。
だからすぐに出ようとしたが、咲世子に止められた。
C.C.は、ナンパ男たちと別れた階では、興味など無いと言う様にのんびり歩いたから、その辺は怪しまれてないだろうが、慌ただしく出ていけば、やましい事をしていますと言っているようなものだと。

「ではどうする?」
「まずは焦らず、ゆっくりと出ましょう。堂々とやましい事など無いと印象付けることも大事です。そして、ここから離れる時は大きな通りを避けるべきかと」

検問をするような大きな道路だけが道では無い。
温泉街にも脇道はあるし、住宅街を縫うように走れば検問を超えられるかもしれない。山道に逃げてもいい。

「それも罠かもしれないぞ?」

今はまだ9時前。通勤ラッシュの時刻だ。
わざわざそんな時間を狙った時点で、ここに検問があるぞと誰かに伝えているようなものだろう。

「でも、検問は避けた方がいい。山道や住宅街で立ち往生になったら逃げ道もない」

住宅街では民間人に危害が及ぶ可能性も出る。
となれば選ぶべき道は一つだけ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。

「では、外国人がいたと言う道を行きましょう」

結論は出たと、三人は部屋を後にした。

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